新年に寄せて
新年あけましておめでとうございます。
演劇集団P-nutsの作・演出を担当しております佐倉です。
皆様新しい年を如何お迎えでしょうか。
昨年はコロナで大変な1年でしたね。
舞台芸術界がコロナによって受けた打撃は計り知れないものだったと思います。
そんな中、私たちは幸せなことに、昨年、大きな舞台を経験することが出来ました。
これは今考えてもすごいことだったと思っています。
コロナ禍で、まず3月に出演が決まっていた邦楽合奏団の公演が延期となり、4月に予定していた歌舞伎役者を招いての歌舞伎ワークショップも中止となってしまいました。
9月には県民芸術文化祭の開幕行事が決まっていましたが、これもできないのではないかとその時は思っていました。
実際、緊急事態宣言も出て、3月から予定していた開幕行事の稽古がすべて中止となってしまいました。
稽古をせずに本番をすることはできません。
9月にコロナが収束していたとしても、それまでにじゅうぶんな稽古が出来ていなければ上演は無理です。
しかも今回は開幕行事ということで大規模公演、出演者の数が60人を越えています。
稽古時間がいくらあっても足りないような状況なのです。
先が見えない中、大カンパニーは、稽古もできず、宙ぶらりんのまま、日々が過ぎていきました。
6月。緊急事態宣言が解除されて、恐る恐る稽古が再開されました。
この時点で3か月の遅れです。
しかし県民芸術祭の開幕行事ですから、中止というわけにもいかない。。
まずは少人数、短時間の入れ替え制で稽古を始めました。
公民館は貸し出しを休止していましたので、稽古場を確保するまでにも苦労がありました。
稽古が始まればいろいろなところから集まった多様な演者とひとつの舞台を創っていくという大作業。
舞台装置やら、衣装やらも大掛かりで大変です。
畑違いのダンスや殺陣のシーン。オリジナルの楽曲の制作依頼。
己の力のなさを痛感する日々でした。
大所帯の稽古をどう回していくか。舞台をどう組み立てていくか。
コロナという大きな壁に阻まれながら、絶えず逃げ間のないプレッシャーとの闘いでした。
鈍感力という言葉が一時流行りましたが、私はほんとうに鈍感だったから、この日々をなんとかやり過ごすことが出来たのだろうと思います。
その分、傍から見ている人は、ほんとうにじれったくイライラさせられていたのではと申し訳なく思っています。
たくさんの方々に支えられ、助けていただいて、9月22日。無事に本番を迎えることが出来ました。
奇跡だと思いました。
そして公演から2週間たってカンパニーからも観客からも会場スタッフからもコロナが出なかったとき、ああ、やっと公演が終わったと、一気に緊張がほどけていく感覚でした。
去年は、コロナとOITA歌舞伎の1年でした。
今年はどんな年になるのでしょう。
今年劇団は結成15周年です。
今年は劇団とじっくり向き合う1年にしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
演劇集団P-nutsの作・演出を担当しております佐倉です。
皆様新しい年を如何お迎えでしょうか。
昨年はコロナで大変な1年でしたね。
舞台芸術界がコロナによって受けた打撃は計り知れないものだったと思います。
そんな中、私たちは幸せなことに、昨年、大きな舞台を経験することが出来ました。
これは今考えてもすごいことだったと思っています。
コロナ禍で、まず3月に出演が決まっていた邦楽合奏団の公演が延期となり、4月に予定していた歌舞伎役者を招いての歌舞伎ワークショップも中止となってしまいました。
9月には県民芸術文化祭の開幕行事が決まっていましたが、これもできないのではないかとその時は思っていました。
実際、緊急事態宣言も出て、3月から予定していた開幕行事の稽古がすべて中止となってしまいました。
稽古をせずに本番をすることはできません。
9月にコロナが収束していたとしても、それまでにじゅうぶんな稽古が出来ていなければ上演は無理です。
しかも今回は開幕行事ということで大規模公演、出演者の数が60人を越えています。
稽古時間がいくらあっても足りないような状況なのです。
先が見えない中、大カンパニーは、稽古もできず、宙ぶらりんのまま、日々が過ぎていきました。
6月。緊急事態宣言が解除されて、恐る恐る稽古が再開されました。
この時点で3か月の遅れです。
しかし県民芸術祭の開幕行事ですから、中止というわけにもいかない。。
まずは少人数、短時間の入れ替え制で稽古を始めました。
公民館は貸し出しを休止していましたので、稽古場を確保するまでにも苦労がありました。
稽古が始まればいろいろなところから集まった多様な演者とひとつの舞台を創っていくという大作業。
舞台装置やら、衣装やらも大掛かりで大変です。
畑違いのダンスや殺陣のシーン。オリジナルの楽曲の制作依頼。
己の力のなさを痛感する日々でした。
大所帯の稽古をどう回していくか。舞台をどう組み立てていくか。
コロナという大きな壁に阻まれながら、絶えず逃げ間のないプレッシャーとの闘いでした。
鈍感力という言葉が一時流行りましたが、私はほんとうに鈍感だったから、この日々をなんとかやり過ごすことが出来たのだろうと思います。
その分、傍から見ている人は、ほんとうにじれったくイライラさせられていたのではと申し訳なく思っています。
たくさんの方々に支えられ、助けていただいて、9月22日。無事に本番を迎えることが出来ました。
奇跡だと思いました。
そして公演から2週間たってカンパニーからも観客からも会場スタッフからもコロナが出なかったとき、ああ、やっと公演が終わったと、一気に緊張がほどけていく感覚でした。
去年は、コロナとOITA歌舞伎の1年でした。
今年はどんな年になるのでしょう。
今年劇団は結成15周年です。
今年は劇団とじっくり向き合う1年にしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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